紫河車(しかしゃ)の正体はまさかの「アレ」だった
紫河車(しかしゃ)は紀元前から中国の秘薬とされ、紀元前3世紀には傷の治療薬として使われていました。
秦の始皇帝<紀元前259年~紀元前210年>の時代には不老長寿の薬として重宝されていたという記録も残っています。
現代でも漢方薬として存在しているこの紫河車ですが、その正体は母親のアレでした。
紫河車の英語名
紫河車の英語名=プラセンタ
古代中国の時代に不老長寿の薬として重宝されていた紫河車は、健康な産婦の胎盤をトロ火で乾燥したもの。
「胎盤の英語名=プラセンタ」なので、つまり「胎盤」「紫河車」「プラセンタ」は全て同じモノということになります。
人間の胎盤から作られ、いくら女性ホルモンを多く含み女性ホルモンの分泌を良くすると言っても、世界的にみて草食系だった古代の日本人としてはなかなか発想しにくい生薬(しょうやく)です。
ですが古代中国以外にも、西洋では紀元前古代ギリシャの医師として有名なヒポクラテスが治療にプラセンタを使用していたりと、その歴史はとても長いものになります。
現代では漢方薬の紫河車よりも、さらに飲みやすいサプリメントタイプのプラセンタがたくさん販売されるようになりました。
古代では人の胎盤を使用していましたが、サプリメントで使用される胎盤は馬や豚など動物由来のものです。私たちが焼肉を食べるように、プラセンタを食べることは何も不思議なことではありません。
自然界では人間以外の動物は出産後に自分の身体から排出された胎盤を当たり前のように食べます。それには出産で弱った身体を回復させる目的もあるからです。
古代より愛されて来た紫河車は非常に高価な漢方薬になりますが、現代ではその姿をサプリメントへと変えて幅広く愛され続けています。